Mail Magazine Vol.636 2011/11/26  『「新年おめでとう」は​NG? 風雲児の死 短信:アホか~!三連​発』

みなさん、こんにちは。最近、街には、お歳暮やクリスマスなど、年末モードが溢れています。

ただ巷でよく耳にするのは、
「エっもう年末?実感がわかないよね」
という言葉です。

どうも、今年は震災のために、
時間の流れに対する感覚が普通の年とは
違ってしまっているようなのです。

それに被災地のことを考えると、
「年末だ!お正月だ!」とワイワイ楽しむムードにも、
なれない気持ちもあります。

そんな世の気分を反映するように、
先日の日経新聞には、来年の年賀状の文面に関する
記事が載っていました。


■■■「新年おめでとう」はNG?■■■

年賀状の言葉と言えば…

「あけましておめでとうございます」
「謹賀新年」
「今年も良い年でありますように」

こうした文言が定番でした。
それが、今年は見直されているようです。

例えば、富士フィルム。
こちらは写真が印刷されているタイプの年賀状で、
市場の8割をキープする大手です。

こちらでは今年は、定番のサンプルから、
「今年も幸せな1年を」といった連続性を意識した文面を減らし、
「新しい年がすばらしいものでありますように」のような、
未来に希望を抱くタイプを増やしたとのこと。
同様に写真の側に付けるイラストも落ち着いた柄を増やしたそうです。

一方、コンビニ大手のセブンイレブン。
こちらは頼んでから3日で年賀状が出来上がるという
お手軽さが人気です。

そんなセブンイレブンでは、
今年は全国共通のデザインに加えて、
東北用に20のデザインを用意。
さらに、年賀状代わりに使う「挨拶状」も導入しました。

挨拶状の文面はというと、

「ありがとう」
「お世話になりました」
「感謝」

などの、感謝の気持ちを伝えるものに加えて…

「がんばろう東北」
「前を向けばきっと明日が見えてくる」
「絆」
「心をひとつに奏でよう、希望の調べを、
 描こう、虹のかけ橋をー」

という、メッセージが込められたものもあります。

なるほど!挨拶状ですか。

また被災者のために、
次のような動きもあります。

「元気だ状」

これは、阪大の学生ボランティアの発案に
関西の企業が協力して始まったもので、
「絆」「一期一会」などの言葉をあしらったハガキを、
被災者に無料で配布するというプロジェクト。
配布数は10万枚で、ボランティアの学生達が
仮設住宅などを訪ねて配るそうです。

お世話になった人へのお礼や、
住所が変わってしまったことの連絡など、
手紙は出したいがその余裕が…という
被災者に喜ばれると思います。

たかが年賀状、されど年賀状。
2012年の年賀状は、これまでのものとは、
ちょっと違うものになるかもしれません。

ちなみに、2012年は”辰年”です。
みなさん、お忘れなく!


■■■風雲児の死■■■

落語家、立川談志が亡くなりました。
享年75歳。
死因は、喉頭がんでした。

04年辺りからのどの不調を訴え、
08年には、咽頭がんであることをマスコミに公表。
一時、病状が回復したものの去年再発。
医師から声帯摘出手術をすすめられたそうですが、
のどは落語家の命だからと、手術を断った末の死でした。

談志を語る上で欠かせない(と私が思う)キーワードは、
「志ん朝」「笑点」「立川流」です。

「生涯のライバル」
古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう)は、
談志の2歳年下。
落語への入門は5年も後です。
落語の世界で、先輩・後輩を決めるのは入門の年次。
志ん朝は、談志にとってバリバリの後輩です。

しかし、後輩は早々と先輩の先を超えてしまいます。
一人前を落語家を意味する”真打ち”への昇進。
志ん朝は1962年、談志を含む先輩36人を抜いて、
真打ち昇進を決めるのです。

ちなみに談志が真打ちになるのは、
翌年の1963年(27歳)です。

志ん朝は、戦前・戦後に人気を博した落語家、
古今亭志ん生の息子。
文字通り落語界のサラブレッド。

ハンサムで、どことなく上品で、
役者としての力量もあった志ん朝は
デビューするや、たちまち人気者となります。
そんな志ん朝を、落語界が一刻も早く
真打ちにした気持ちも分ります。

しかし、このことは談志にとって
相当な衝撃だったようで、
後に「生涯最大の屈辱」とも語っています。
恐らく「高座での実力は俺の方が上なのに…」と
思っていたのでしょう。

歯に衣着せぬ発言で、世を敵に回しながらも
笑いを取るのが、談志の”毒舌”芸。
そんな芸を身につけた背景には、
品と甘さでは絶対に敵わないライバルの存在が
あったのかもしれません。

自尊心のかたまりのような談志は、
滅多に人を褒めることがありませんでした。
しかしライバルの芸に対しては、
「金を払って聞く価値のあるのは志ん朝だけだ。」
と認めています。


「笑点」
さて30代に入った談志の活動は勢いを増し、
四天王(志ん朝、圓楽、柳朝(または圓鏡))と共に、
昭和の落語人気を牽引します。

ある時、談志はそんな落語人気をよりストレートに
世間にアピールする企画を思いつきます。

1966年にスタートし現在も放送中のテレビ番組、
「笑点」(日テレ)です。

司会は談志。(3年やって交代)
番組の前半で、漫談、落語、手品などを見せて、
後半は人気落語家が揃って大喜利を行う。
このフォーマットは放送から45年たった今も不変です。

「あんな短い時間では芸は見せられない」
「テレビに身を売ったら落語家はおしまい」

こうした批判を玄人筋から受けながらも
「笑点」は視聴者に愛され、
多くの人気落語家を世に送り出す役目を果たします。

寄席だけでは落語は廃れる。
落語の面白さを知ってもらうためには、
まず落語家の顔と名前を知ってもらわなければならない。
鬼才・談志の読みは、何歩も先を行っていました。

そんな中、談志は突如、政界に打って出ます。
1971年(36歳)のことでした。
この時、談志は参院の全国区に立候補したのですが、
得票数は当選者50人中50位の最下位当選。

記者に最下位当選の感想を聞かれた談志は、
「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ。」
という言葉を残します。

正直、私には談志の政治家としての実績はわかりません。
二日酔いで会見に望んだり、
寄席を理由に公務に出なかったりと
ハチャメチャだったとは伝えられています。

頭が良く、人から嫌われても本音を言える人だったから、
もう少し我慢が出来れば政治の場でも活躍できたのでは、
と思う反面、我慢が出来ないから談志なんだ、
と思う気持ちもあります。

ちなみにこの時、談志の生涯の友となるのが
現東京都知事の石原慎太郎です。

先日、石原都知事は恒例の記者会見中に
自ら、談志について触れました。
それによれば、亡くなる数日前、
意識がもうろうとしている談志に
電話をかけたそうです。

「談志は言い返そうとするけど、
声が出ないから『ハァハァ』って言ってた。」

「あれが無類の話術家との最後の会話だったけど、
僕の人生の中で極めて印象的な、
会話にならない会話だったな…。」

「憎まれ口をたたき合う不思議な友人だった。
残念だが、人間いつか死ぬんだ。しゃあねぇ」

私、石原都知事のこと好きじゃないですけど、
この会見はちょっとグっと来ました。

さて、最後のキーワード
「立川流」

談志は、1983年(47歳)
真打昇進試験制度を巡り落語協会と対立。
協会を脱会し、落語立川流を創設、
自ら家元に就任します。

実はこの時の落語協会の会長は柳家小さん。
談志が16歳の時に入門した師匠です。

落語の世界では、師匠と弟子の関係は
親子以上とも言われています。
その師匠に弟子が弓を引いたと、
当時、話題になったものです。

しかし私は、相手が、師匠の小さんだったから
談志の行動は、ああしたものになったのではないか、
とも思うのです。

新しいものを取り入れようとしない親への歯痒さ。
子から意見された時の親の意地。
気がつけば取りかえしの付かない言葉を吐いてしまう両者。

この一件をもって小さんは談志を破門しますが、
その時、小さんは談志についてこう言ったそうです。

「談志は本人が思っているほど利巧じゃあねえ。
俺は待っているから、いつでも帰ってこい。」

さて革新家、談志に率いられた立川流は、
落語界へ新しい風を吹き込みます。

まず活動の場を、寄席からホールへと変えました。
独演会にも力を入れ、全国を回りました。

また、芸能人や文化人などへも落語への門戸を開きます。

そのため立川流には、
ビートたけし、赤塚不二夫、上岡龍太郎、
デーブ・スペクターなど、多彩な人々が
弟子として名を連ねています。

こうした談志の試みには、
「遊び」「金儲け」「芸への冒涜」など批判も出ましたが、
落語を、狭い世界から広い世界へという、
談志の気持ちが伝わってきます。

しばらく時がたつと、
立川流からは次々と有望落語家が育っていきました。
談志の古典落語に惚れて弟子入りした若者たちでした。

立川志の輔、立川談春、立川談四楼、立川志らく…。

いずれもホールを一人で満杯に出来る実力者です。
落語ブームと呼ばれる今の時代、
立川流が果たしている役割を認めない人は、
もういません。

しかし、こうした談志が育てた弟子たちの多くは、
師匠の葬儀に呼ばれませんでした。
それは、家族が故人の言葉を守り、
密葬で葬儀を行ったからです。

「葬儀は要らない。お経も要らない。
人に言うな。戒名も自分でつける。
お骨は海へ」

そして談志が付けた自分の戒名とは…、

立川雲黒斎家元勝手居士
(たてかわ・うんこくさい・いえもと・かってこじ)

ふふふ。

最後まで世を笑わせ、世を笑った、風雲児。
見事な、噺家の一生ではないでしょうか。


■■■短信■■■

アホか~!三連発。

玄葉外相が中国への日帰り訪問に
飛行機をチャーターし、その料金が1200万円!
定期便がたくさん飛んでいる路線なのに、
なんでチャーター便!
アホか~!

清武元巨人GMが怒りの再記者会見を開くも、
事態は泥試合の様相に。
巨人軍の組織内の騒動に、
なぜ付き合わされなければならないのか?
これに対し生涯巨人軍を貫いた長嶋茂雄さんは
「本当にひどい」と怒りの声。
まったくその通り。アホか~!

先頃、行われた「提言型政策仕分け」
これまで行われて来た「事業仕分け」を、
野田首相の発案により発展型したものだが、
今回の評決は、ほとんどが「玉虫色」
例えば「日本の大学の国際的評価が低い。」という提案には
予算を抑えようとした財務省と、
日本の大学は欧米に比べて寄付金が少ないので
もっと予算が必要とした文科省がバトルを繰り広げた。
しかし、最終的な評決は
「大学の自己改革での実現を目指す」というもの。
なんじゃこりゃ。
その”自己改革の実現”をするための提言を、
予算から具体化するのが役目じゃないの?
誰も責任を取らない典型的なお役所仕事。
アホか~!

ちょっとスッキリした所で、
ではまた来週。

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