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Mail Magazine 2008年8月8日 『63回目の夏 オリンピックの顔と顔 昭和のギャグ王逝く』
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Mail Magazine 2008年8月8日 『63回目の夏 オリンピックの顔と顔 昭和のギャグ王逝く』
2008/08/18 16:40
投稿者:
MM編集部
表示回数
2,522
Mail Magazine 2008年8月8日『63回目の夏 オリンピック 昭和のギャグ王逝く』
こんにちは、メディモン3号です。
とうとう8月です。
毎日暑い日々が続きますが、みなさんお元気ですか?
先日、ちょっと個人的にショックなことがありました。
【63回目の夏】
夜、友人のブログをチェックしてから寝ようと思ったら、そこに「今日、8月6日は広島原爆投下の日です」と書いてあったのです。
彼女は広島の出身で、現在は東京に住んでいます。
広島にいた時には、毎年、この日は各テレビや新聞などで原爆投下について触れるので、幼少の頃から忘れたくても忘れられない日だったのに、東京ではニュースも流れなくて、彼女はカレンダーを見るまでそのことをすっかり忘れていたと。
それがなんともショックだったと。
そうなんですよね。私も忘れていました。
さすがに15日が終戦記念日なのは覚えていましたが、原爆投下(長崎は8月9日)の日は恥ずかしながら頭から抜け落ちていました。
それでも私が子供の時は、ニュースでしきりに「本日は…」と流れましたし、特別番組も組まれていたような気がします。
それがいつの間にか、なんでもない普通の日になりつつあって、思い出さぬまま終わりそうになった。
それが、なんとも申し訳ないような、恥ずかしいような気分になったのです。
私はもちろん戦争体験者ではありません。
が、祖父祖母、父母は戦争を体験していて、つまり身近な人々が、リアルに戦争というものに接していた世代です。
それなりに当時の話も聞いています。
が、今の子供たちにとっては、戦争はまったくもって過去の出来事であり、いわば「歴史」。
その子たちにとってみれば、ニュースや新聞で喚起されなければ、8月6日ってなんでもなく終わる日なんです。
それこそが平和じゃないか、と言われればそうなのかもしれませんが、それって…やはりとても問題なことです。
私達の今の暮らしは、過去の犠牲の上に成り立っているのですから、一年に数回でも、そのことに思いを馳せる日がなくては、次にまた同じ過ちを繰り返す可能性が高くなります。
去年1年間に死亡が確認された原爆死没者は5302人。
これで原爆による死没者は25万8310人となりました。
よく、「歴史の語り部」といいますが、時を経て実際に戦争を体験していた人々は、どんどん亡くなっています。
となると、実際に体験していない私達でも、せめて体験者から聞いたことを、次の世代に語り継ぐべきですし、ましてや忘れてはいけないはず。
だから忘れてしまった自分がなんとも恥ずかしいのです。
友人の日記には、「この日記を見て、今日が原爆投下の日だと思い出してくれる人がいればいいなぁと思います」と締めくくられていました。
私も同じことを書きたいと思います。
このコラムを見て、8月6日が原爆投下の日だったと思い出してくれる人が、一人でもいたら嬉しいです。
【オリンピックの顔と顔】
いよいよ本日(8月8日)から北京五輪が始まりますね。
しかし日本では、今回のオリンピックはまったくといっていいほど盛り上がっていません。
どのくらい盛り上がってないかというと、今日から開催だというのに「で、いつから始まるんだっけ?」という人もいるくらい。
日本人ってオリンピック大好きですよね。
でも、今回に限っては、その熱が…まったくといっていいほど感じられないんです。
もしかして私の周囲だけかしらん?と思っていたのですが、さにあらず。
誰に聞いても「今回はなんか見る気がしない」という意見ばかり。
まぁ、チベット問題や、毒餃子問題、四川大地震、そして中国政府の対応…などから、なんとなくケチがついた感があるのは本当です。
それにしてもね…。
テレビでは、さすがに取り上げてはいるんですが、微妙に盛り上がってませんしね。
が、選手にとっては4年に一度の、いえ、人生一度の勝負の時ですから、精一杯がんばって頂きたいもの。
そこで毎回恒例の、メディモン3号のメダル予想、です!
(外れても責任は取れませんけど)
とりあえずメダルの色にこだわらず、表彰台に上れそうな選手を選んでみました。
■野口 みずき選手(女子マラソン)
■土佐 礼子(女子マラソン)
■伊調 馨(女子レスリング)
■吉田 沙保里選手(女子レスリング)
■室伏 広治選手(男子ハンマー投げ)
■北島 康介選手(男子水泳100m平泳ぎ・200m平泳ぎ・400mメドレーリレー)
■柴田 亜衣選手(女子水泳800m自由形競泳代表)
■谷 亮子選手(女子48キロ級柔道代表)
■佐藤 愛子選手(女子57キロ級柔道)
■谷本 歩実選手(女子63キロ超級柔道)
■中澤 さえ選手(女子78kg級柔道)
■鈴木 桂治選手(男子100キロ級柔道)
■泉 浩選手(男子90キロ級柔道)
■平岡拓晃選手(男子60キロ級柔道)
■石井 慧選手(男子100キロ超級柔道)
■森田 智己選手(男子水泳100m背泳ぎ・400mメドレーリレー競泳代表)
■奥村 幸大選手(男子水泳800mリレー競泳)
■中村 礼子選手(女子水泳100m・200m背泳ぎ競泳)
■中西 悠子選手(女子水泳100m・200mバタフライ・400mメドレーリレー競泳)
■三宅 宏実選手(女子重量挙げ)
■野球日本代表(野球)
どうでしょう?
さて、この予想が当たってほしいような、ここで上げなかった思わぬ伏兵にも活躍してもらいたいような…。
いやいや、みんながんばれ!
今回のオリンピックは8日~24日まで。
本日は開会式が行われ、いよいよ暑い17日間が始まります。
【昭和のギャグ王逝く】
この前会社でですね、驚いた時に思わず「シェー」と言ってしまったことがあったんです。
そうしたら年若き同僚たちが「…なんですか、その『シェー』って」と聞くのです。
「えー!おそ松くんのイヤミのシェー!を知らないの?」と尋ねると、「知ってますけど、口に出して言ってる人は初めて見ました」とのこと。
ぬぬぬ、まさに隔世の感アリ。
というのも、私が子供の頃は(全盛期ではありませんが)「シェー」や「レレレのレ~」、「賛成の反対」って、普通に言ってましたからね。
(私はチビ太の「てやんでぃばーろーちくしょい!」というのが口癖でした。)
おそ松くんや、ひみつのアッコちゃん、天才バカボンは、とにかく面白かった覚えがあるのですが、なぜか大人からは「…下品」と嫌がれました。
けれど、今思えば、特に下ネタを扱っていたわけではないんですよね。
これらの一見ナンセンスにみえるマンガは、実はインテリぶった人や、拝金主義者、権威主義者を笑い飛ばす、子供にも分かりやすい「笑い」だったような気がします。
その作者である赤塚不二夫さんが、先日、6年間のもの闘病生活の末、72歳で亡くなりました。
赤塚さんは手塚治虫さんや藤子不二雄さんを生んだ、伝説の「ときわ荘」の元住人で、戦後のギャグマンガ界を牽引した一人でした。
彼が生み出したマンガと同じく、赤塚さんという方は、非常に魅力のある人物だったようで、その人柄を慕って集まる人も多かったとか。
彼のアシスタントからは、「ダメおやじ」の古谷三敏さん、「釣りバカ日誌」の北見けんいちさんなど、そうそうたる漫画家が生まれ、マンガ界以外でもタレントのタモリさんが、赤塚さんの後押しで、芸能界デビューしたという話もあります。
タモリさんは赤塚さんの葬儀で弔辞を読みました。
少々長いのですが、私が何を書くより雄弁に故人のことを語っていると思うので、全文掲載したいと思います。
(ちなみにこの弔辞でタモリさんは、紙こそ持っていましたが、「白紙を読み上げていたのではないか」と言われています。それだけに思いの感じられる弔辞に感じられます。)
「 弔辞
8月2日にあなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。
あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫が来た。
あれが赤塚不二夫だ。
私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。
自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。
それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
他のこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
そして仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。
シャイな方です。
麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。
あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。
あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、「これでいいのだ」と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。
軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。
どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。
最後になったのが京都五山の送り火です。
あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。
そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言っているに違いありません。
あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
しかし、今、お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の1つです。
合掌。
平成20年8月7日、森田一義 」
ご冥福をお祈りいたします。
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